だよ☆
簡潔に申しますと、
私は周囲の人たちに恵まれているなーと思いまして。
最近でゆうとー、彼氏とかはっちゃんとかなんだけど、
彼氏に至っては、本当に出会えて良かったと思います。
先生が亡くなったとの知らせを聞いたとき、
正直ショックでした。
どうしたら良いのか解りませんでした。
そのことを彼に話して、
「ごめんね、暗くなっちゃって」と加えたら、
「いいのよ、全然。
人が亡くなるというのは、悲しいことじゃないのよ。
この大変な世の中を生きて、やっと安らかに眠るんだから。
その方は自らの使命をしっかり果たしたんだよ、
お疲れ様でした、ということなんだよ。」
こういわれました。
人が亡くなった、というときに、
今まで当たり前のように悲しんできた私には、
とても新鮮な言葉でした。
始めは余りなじめなかったけど、
ちょうどスピリチュアルなものに憧れていた
(美輪さん、江原さん影響)のも手伝って、
なんとなく解るようになった。
そっか、悲しいことじゃないんだ。
喜ばしいことなのかもしれない。
ほら、だって、お別れの次には出会いがあるし、
なんだか新しい門出を祝ってるような気がするから。
ちょうど今は春だし、
さくらがきれいだし、
先生を思い出します。
この季節が来るたびに、
きっと思い出します。
何年後、何十年後も。
ほんとうに、良い思い出ばかりです。
先生の作業着の匂いとか、
ハイテク室の匂いとか、
あの油の匂いも、
忘れられません。
素敵な髪型も、
素敵な口笛も、
やさしさも、
忘れません。
私達を、たくさんたくさん愛してくれました。
だから、思い出も、たくさんたくさんあるんです。
先生は、きっとしあわせ。
だって、こんなにも愛されている。
そんな人に愛された私達は、もっとしあわせ。
ほんとうに、
ありがとうございました。
としか言えません。
感謝です。
今、先生のことを思い出している私の心は、
とっても嬉しがってます。
おつかれさまでした、せんせい。
と、こんなことになるはずじゃなかったんですけど、
まあ、こうやってね、私を成長させてくれる、
素敵な人が居るってことはものすごく有り難いことなんです。
そして、「類は友を呼ぶ」って言うじゃないですかよく。
これは全くの真実で、
人は同じような性質の人を引き寄せるんです。
例えてみると、
向上心のある人には、向上心のある人が寄ってくるんです。
ものすごく簡単なことです。
私の大好きなはっちゃんという女性がいます。
十歳以上年上で、ぶりっ子で、典型的なB型で、
最初はすげー嫌な女だと思ってました。
ところがどっこい。
話してみるとすげー気が合うんです。
それからというものの、もうはっちゃんの虜ですよ。
大好き。
こんなことフツー言わないですよ、大好きなんです。
はっちゃんも大好きって言ってくれてます、
相思相愛なので、結婚するかもしれません。
話変わりますが、彼女、
気は合うんだけど、私には無い物を持っていたんです。
だから余計に惹かれたんですね。
私には無くてはっちゃんにあるもの。
それはポジティブスウィンキング。
なんだか私、はっちゃんのおかげで随分ポジティブになれたと思います。
そんな私の愛するはっちゃん。
実は来月異動になります。
他のオフィスに行ってしまうんです。
これにはガックリ。
とても残念。
愛する人が、私のそばからいなくなってしまうなんて、
そりゃー耐えられないことです。
でも、3日もしないうちに悲しみの淵から這い上がりました。
わかった、そうか。
私にははっちゃんはもう必要が無いんだ。
そう思ったのです。
このアマ、何を勘違いしてるのかいなとお思いでしょうが、
必要がない。
この通りなんです。
では考えてみましょう、
はっちゃんは何故私の前に現れたのでしょうか?
はい、そうです。
はっちゃんは、私を前向きな人間にするために現れたのです。
考え方がネガティブで、かなり損をしている、
というか、この子いつかウツになるんじゃねぇの?みたいな私の前に姿を出した、
とんでもなくポジティブなうっかりハチベエ。
このうっかりと付き合い出したらアラ不思議、
マイナスッ子がいつの間にかプラスッ子に変身していました。
というわけで、見事自分の役目を果たしたうっかりは、
蝶の如く秋葉原へ飛んで行ったとさ。
、、、。
なっっげえ。
途中変な茶番かましたりしてたけど、
結局言いたいことは、
私にははっちゃんはもう必要が無いんだ。
ということですよ。
わたくしすっかり成長しましたので、
あとは他をしあわせにしてやって下さい。
ばいばーい。
とはいえ、やっぱりさびしいよなあ。
ってさ、こんなこと言うつもり無かったんですけど(怒
いや、だからね、いいたかったのは、
自分の周りの人は、素晴らしくて、素敵な人たちだなあ。
と思うじゃないですか、
それは、裏返せば、
私は、素晴らしく、素敵な人なんだ。
ということなんですよ!!(これ思いついたの昼頃)
だからね、驕ってるわけじゃないですよ。
周りの人は、自分を映す鏡みたいな物なのかもしれません。
また、
他をすばらしい、と思える、自分自身もすばらしい、
ってことにもなるんです。
でね、仕事が終わってトイレで用足してましたら、
なかなか素敵なことが浮かんだんです。
なんだかんだいって、今の、私の周りは、
いい環境なのかも知れない、
って思ったんです。
仕事とかだと、どうしても嫌なこととかうんこなこととかありますよ、
そりゃ。
でもね、自分がこの環境を引き寄せているとすれば、
それでいいんですよ。
言葉で言うの難しいんですけど、
自分でこの状況を創り出したわけですよ。
だから、何も文句は言えないんですよ。
自分が、何を、やろうと、
全部、自分の責任なんです。
自分のやったことが、自分の結果なんです。
私、気付きませんでした。
まったく。
自分のやったことが、自分の結果。
そう思うと、ものすごーーーーーーーーーーく、
気が楽です。
すごい楽。
だって、これをするも自分、しないも自分、
するしないを決めるも自分。
何かして失敗するのも自分。
自分が決めたからしょうがないや。
と思えるんです。
なーにをやっても自分の責任なんですから、
ものっすごく楽しいじゃないですか。
考えてみて下さいよ。
ちょーハッピーじゃん。
てか、
自分の人生は、自分の人生なんだ。
って、初めて知りました。
伝わってる?
この感じ、伝わってる?
みんな、そんなの当然じゃん、って思うかも知れないけど、
21年、あと2ヶ月とちょっとで22歳かよ。
21年生きてきて初めて解りました。
ってゆーか、
腹に落ちたんだよね。
私の人生は私の人生、そんなのわかっとるわいっ
ってなるけど、
そんなの全然実感無いよ。
つかめない、触れられない、わかんない。
でも、私は腹に落ちました。
どっしりと重く感じました。
私この感覚、大事にして生きているんです。
色々、わかったふうになってませんか?
細かいことは良いです。
どうでもいいことは良いです。
もっと重要なワード、あるはずです。
なにか、ふんふん、と解るのと、
腹に落ちる時の感覚、ぜんっぜーん違いますよ。
頭でわかるのと、
経験してわかるのの違いかな。
あと、それに似た感覚だな。
これ、すっごい面白いですよ。
ただし、やろうと思って出来るものじゃないです。
ふとしたときに、気付く。
もっと奥深くを探ってみると、
あるんです。
その感覚が。
あー!!
そうだったのか!!
ってかんじです。
ちなみに私は放尿して拭いてパンツはいてた刹那です。
あああああ長かった。
これが言いたかったのよ。
放尿じゃなくて、
腹落ちのはなし。(たぶん)
てか、自分の人生が自分の人生と思えないって、
どんだけ自己犠牲してきた(また、その考え)
んだよって感じだね。
たぶん私の前世の人がそうだったんだろうね。
大丈夫ですよ、これからは自分をもっと大事にしますからねー。
これで彼女(?)も救われたであろう。
よかったよかった。
はーおやすみ。